目的よりも大切なこと

すなふきん

2009年09月29日 23:19

■道草


子供と一緒に歩くと、目的地まで時間がかかります。


あっちにふらふら、こっちにふらふら、

せっかく前に進んだと思ったのに、

気になるものがあると、また逆戻りしたり、

わき道にそれたりと、なかなか前に進みません。


子供にとっては、目的地に行くことを、

考えて歩いているわけではないので、

目の前に気になるものの方がずっと大事なのでしょう。


そうやって、道草をしながら歩いていると、

今まで見過ごしていたような、小さな発見がたくさんあります。


例えば、マンホールのデザインとか、

道端に落ちている変わった石とか、

池に住む見たこともないような変な生き物とか、

今まで気付かなかったことがたくさんあったことに、

気付きます。


■目的か、それともひらめきか


思えば、自分が子供の頃も同じように、思いつきで行動していました。


遊ぶときに目的なんてあるわけもなく、

ただ、目の前のことが楽しくて、

他にもっと楽しいことを発見したら、

別な遊びに変わっていたりして、

それがまた面白かったことを思い出します。


遊びのルールもあってないようなもので、

もっと面白いやり方が見つかれば、

勝手にルールを変えて楽しんでいました。


そもそも、楽しもうという意識すらありません。


面白そうなことを探しては、ひらめいたことを

何かしらやっていました。



しかし、大人になるにつれて、

そうではなくなってきたように思います。


いつの間にか、人生を効率よく生きることを、

目的にするようになっていた気がします。


確かに、目的を持って何かをすることは、

限られた人生を生きる意味では、

大切なことなのかもしれません。



しかし、それ以上にもっと大切なことがあるような気がするのです。



■プロセスこそが面白い


自分の今までの人生を振り返ってみると、

目的を達成した瞬間を思い出すよりも、

その間の悲喜こもごもの経験の方が、

何倍も面白いことに気付きます。


ただひたすら、目の前のことに一生懸命になると、

不思議なくらい偶然の幸運が重なり、

何かに導かれるかのように、

面白い出来事がたくさん起こりました。


その時々は、四苦八苦していたのだけれど、

振り返ってみると、それがいい思い出になっていて、

とても大切な宝物のように感じます。


どの行動にも、一応目的はありましたが、

やっている時はそんなものはどうでもよく、

ただ目の前のことに一生懸命で、

それがとても気持ちよかった…。


そういう生き方をしているときは、

悩みもまったくなく、


…いえ、悩んでいたのかもしれませんが、

それよりも、目の前のことしか頭に無かった気がします。



■意味は必要ではない


子供は一瞬一瞬、今ここにしかいません。


そんなふうに目の前のことにひたすら打ち込むことは、

とても幸せなことだと感じます。



何かのために、というのもありですが、

何の役にも立たないようなことに、

一生懸命になるのも、またありなのではないかと思います。



今やっていることに、意味が感じられないときは、

意味を探すのではなくて、

まず一生懸命になってみることもありなのかも…。


そんなことを思いました。